したらの夜話し(その3)
話しの続き。飯田街道へ入ったのは、飯田の元善光寺にも立ち寄るつもりだったのか。それと、鳳来寺や田峯観音を御参りして信州へ向かったためでは?と思うのだが。
送り状の説明は続く、新助夫婦、女子三人一行は下津具村へさしかかるも、病に倒れる。そのころ悪い病気流行り、長旅の疲れで弱ってたこともあるのだろう。土地の者、小屋を立て休ませ、一家を手厚く看病する。
しかし、厚い看護のかいなく、6月1日に女子、20日に新助妻、24日に新助、27日に女子と相次いで亡くなる。
約一月余りの旅人への厚意は並大抵のことではなかったろう。まして相手は疫病かも分からん病人だ。飲み物、食い物に、下の世話も当然あったことだろう。頭が下がる思いで、、、亡くなった者も感謝の思いはどれほどか。神社仏閣詣でに出かけて、最後に、本物の神ほとけを、ひとの情けを見て死んでいった事だろう。
送り状の説明が続く。女子一人、助かり。。。病中につき、上津具村の名主さんが『我が家に引きとり、、、』j実の子のように可愛がって養生せる。
この名主さんもきっとほとけ様のような人だったに違いない。世話する事5ヶ月余り。しかし、決断しなければならぬ日が迫っていた。。。。。。