お父さんは、ラバウルから復員されたのですか。
田口の戦没者慰霊の碑を見ると南方で戦死した方の名が多いです。
saijikisitara さん江
終わっても、、2年ほど帰れなかったようです。憎しみが相手と戦うことに 沁み込んでいて、、一生消えずに引きずってましたねぇ。
この時代に生を受けて、、不運だったでしょうね。それに引き替え 私どもの世代は人間として 好きなこと やりたいこと何でも出来る、、、、でも、ちょっと考えちゃいます。
あたしの父は 志願兵の海軍切り込み隊
明日 出撃と覚悟して聞いた 終戦の玉音は
何を言っているのか 意味がわからなかったと言っていました。
奇しくも 8月15日は 父の誕生日です。
父が 亡くなっていたら あたしも子供達も
存在しないんですもん 不思議です。
今の日本 亡くなった兵隊さん達が 見たら
どう思うでしょ~?f(^^;
taki おかみ さん江
全く同感ですねぇ~ 親が無事でなかったら今の自分はないわけ、その親も親が生きてなければ生きてない、、命の繫ぎ、、、その意味では今を生きてる人は 皆、奇跡の子孫ですね!
そんな大事な命、人生を生きたくても生きられなかった人や、普通に人生を送れなかった人々。二度とバカな戦争を起しちゃイカン
今なら言えるけど、当時の体制で言えるかと?いつも考えちゃいますねぇ。
でも多くの犠牲をムダにしないためにも、今後そのような政治にはしない、なっても反対する勇気を一凡人でも もってなきゃぁいかん と。。。。。結論!
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