右へ
しをつの文字。続いて
ふりくさ。。。そして
ぜんかうじ。
石に刻まれた道しるべ。バネの利いた筆を思わせる筆跡。長く見える人差し指が行く先を教えている。ここは 古道、
『伊那街道』。海老から与良木峠を登った街道が「かしやげ峠」から設楽町に入る。小代から塩津へ。塩津から安沢の坂へ田口へ入って福田寺へ入る。。。。信玄だ!
伊那街道は処処で 迂回したり、もどったり?。一度 街道をたどってみたい
よけいな話し
郷土史の愚か 遊びか、我田引水ではないが、自分の郷土へ一番いいところを持ってくるのが だいたい郷土史の面白いトコと思って ききながしのほど、、。
病に倒れた信玄が福田寺へ入り休むが 手厚い介護も虚しく、、、、、息を引きとる。と、信玄に仕えてた側女の一人が、たぶん織田方の間者とされているが))、逃げる。川向を上がって名倉へ。名倉から樽坂を上がって、太多賀へ。そこから伊勢神を越えて足助へ、、足助から岡崎へ入る。が、追手に捕まり樽坂で命を落とす。口封じ?。3年 死を秘せ!としたくらいだから、口封じに追っ手をかけたのだろう。
信玄さんのお墓も 亡くなった場所も そこらじゅうにあるが、私が 田口は福田寺で亡くなったと するのは、、この追っ手のせい。