塩津は あっち

塩津は あっち































塩津は あっちびっくり右へしをつの文字。続いて ふりくさ。。。そして ぜんかうじ

石に刻まれた道しるべ。バネの利いた筆を思わせる筆跡。長く見える人差し指が行く先を教えている。ここは 古道、『伊那街道』。海老から与良木峠を登った街道が「かしやげ峠」から設楽町に入る。小代から塩津へ。塩津から安沢の坂へ田口へ入って福田寺へ入る。。。。信玄だ!
伊那街道は処処で 迂回したり、もどったり?。一度 街道をたどってみたい
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ひみつ汗  よけいな話し

 郷土史の愚か 遊びか、我田引水ではないが、自分の郷土へ一番いいところを持ってくるのが だいたい郷土史の面白いトコと思って ききながしのほど、、。

 病に倒れた信玄が福田寺へ入り休むが 手厚い介護も虚しく、、、、、息を引きとる。と、信玄に仕えてた側女の一人が、たぶん織田方の間者とされているが))、逃げる。川向を上がって名倉へ。名倉から樽坂を上がって、太多賀へ。そこから伊勢神を越えて足助へ、、足助から岡崎へ入る。が、追手に捕まり樽坂で命を落とす。口封じ?。3年 死を秘せ!としたくらいだから、口封じに追っ手をかけたのだろう。

 信玄さんのお墓も 亡くなった場所も そこらじゅうにあるが、私が 田口は福田寺で亡くなったと するのは、、この追っ手のせい。


この記事へのコメント
こういうのを見る度に、昔の人は知恵があると思う。
Posted by saijikisitara at 2010年04月14日 21:12
saijikisitara さん江

知恵の元は この健脚だったのでは?とおもってます。

今の私らには、とてもとても 街道をゆく脚力ありません!。文化、科学は進んでますが、身体を使わんと 内の アタマは衰退していくんでは、、、、そんな気がします。

昔の人にあってみたいです。街道で出会いそう、、、、
Posted by 凸凸 at 2010年04月14日 23:50
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    コメント(2)