話しの続き

話しの続き ひみつ 昭和30年代は まだ 何処の家にも 家畜として『うさぎ』や『ニワトリ』、、大きくは『牛』や『馬』は使役として、『山羊』は乳として、『羊』は綿羊として、それぞれ飼われていた。


野生では 季節ごとの『山野草』に始まり、山の幸に 川の幸は言うに及ばす、蛋白源と称して、『はちの子』や『ツグミ』、、『イナゴ』何てぇのも食されてる、、、、、いまでは ゲテモノ扱いの〇○虫からバ〇〇キ、、、、サンショウウオなんてぇのも、これは食用というより、滋養強壮のつもりが主だが、およそたいがいの物は喰った時代の20年代を少し くだっただけだが、まだ『田舎』の食糧事情は 自給自足。それも粗末なものばかり、、、だった。

で、正月などの『晴れ』の日には『こんにゃく』や『豆腐』などをこしらえるが 神様用に、お客様用に 大事に大事に 飼っていたものを『こなし』して ふるまう(><) 



パンチ初冬の縁側に 干した『芋』。干し柿と 芋きり干しも 大事な冬の食糧。祖母が楽しみに 作っていたのだが、まだ出来上がらぬうちに、腹を空かした私が 次から次へ食べてしまった。。。。そのころ 祖母は大病を抱えていて、癇癪の塊りだったようで 私を、、、なんと『羊小屋』へ 放りこむ!パンチ汗  で 縄張りに入り込んだ侵入者めがけて、、、羊様の『突撃』、、ぎゃぁーっ

一度ではない、二度も三度も 突っ込んでくる。前に角が無いだけ助かるが、、、、私の悲鳴を聞きつけて、他の大人が救い出したのだが。

 ある日、冷たい雨か 雪まじりの日。家に戻ると、、、なんとなく 気配で『羊小屋』が静か? しーんとしている。。。。変だなぁと 小屋を覗くと、と、羊さんが居ない? あれぇ~。  
 お父さん、あれぇ、、羊は?。。。どつかれたけど、多少 愛情はある、なんか 嫌な胸騒ぎ、どうしたん?
で、父は答えた。 消防の若い衆が持って行った。ほれ、あそこ。 振り返ると、地区の集会場に 大勢の人だかりに、歓声や 煮炊きの煙、、、(><)


ガーン約束なので 優しい話から載せましたが、、しょうもない話で ごめんなさいませ。。。。。しばらく『年賀状モード』に 入ります。


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