慶応三年の送り状

慶応三年の送り状














icon02つい30分前の鳳来寺ユリ。今にも咲きそう、、、10時には開く。約2週間もの間、つぼみで時を待つ姿に愛しさを覚える。。。。やっと咲くicon06、、

icon06さて、昨日の話。新助夫婦一家5人のこと。

知生峠を越えて倒れる。村民の方の手厚い介護を受けるも、、残念ながら次々と命を終えてゆく。。。。1日に女の子、20日に新助妻、24日に新助本人、そして最後に27日に女の子が亡くなっている。一家は6人、旅は5人、亡くなったのは4人!

慶応三年の送り状慶応三年の送り状





icon06この写真は「送り状」。。。。奇跡的に3歳の女の子一人、命をつなぎ、時の庄屋さんが引き取り、療養させる。 身体も回復した半年後、暮れも迫っているゆえ年内にと 女の子を生まれ故郷へ返す。『庄屋送り』。親の遺品や素性を書いた手紙、もっていた往来手形などを持たせて 尾洲中嶋郡上丸渕村まで送り届ける、、、、、内容は だいたい こんなところ。

icon08昨年も書いたが、、納庫村から中当、稲橋、御所貝津村へと送られて !?維新に合う。

慶応三年の送り状慶応三年の送り状そこの庄屋さんで彼女は19年間留まることになる。行き倒れの子、乞食の子などとさげすまれた事も多かったようで、子守り、家事手伝いなどをして過ごす。

icon19icon20が、明治20年4月、突如!この家の庄屋さんの養女として入籍。晴れて娘として嫁入りするためである。


この記事へのコメント
それからどうなるの?まだ続きありますよね。こんな心のしみる話があったなんて・・・
困っている人を救う。簡単ではないですよね。でもそれができる世の中であるべきですよね。今も昔も・・・
Posted by くみちゃん at 2009年07月23日 09:51
このお話、古文書に残されているんですね。
totuさん古文書も解読されるのですか?
続きがありそうですね。
Posted by babubabu at 2009年07月23日 10:12
知生峠では色々な歴史があったのですね。
Posted by まさやす園まさやす園 at 2009年07月23日 11:42
くみちゃん さん江

昔の方がすばらしいぃ~と言うより、、今が 悪すぎるんでしょ。

親の遺品、小判です。お金などの貴重品を持たせて 3歳の女の子を順次、送り届ける!。制度とはいえ、ちょっと今では考えられん処置ですね。

もう一度、思いやりや優しさに満ちた社会に戻らんですかねぇ、、、、、、、

babu さん江

続き、大有り!です。《笑)。古文書、努力はしてるんですが、努力が足りん《苦笑》。。あんまり、葉、読めません。昔の人の達筆に、ただただ 驚くばかりです。


まさやす園 さん江

伊那街道の中でも、キツイ峠越え、だったんでしょう、、、、昨年、知生山へ登ったおり、昔の街道を所々歩いてみました。坂がきつい。たぶん、もう、ここへ来る以前に体調を崩してたんでしょう。。。。まさに知生、、です。

生きてる事を思い知らされる峠越え。
 
Posted by totutotu at 2009年07月23日 12:31
totuさん古文書もお遣りになるなんて益々奥の深さに敬服です。
是非またこの続きを・・・お願いします。

先の二段構えのコメント早速処理して頂き有り難うございました。
動きが遅くて思わず「二度押し」・・・矢っ張りこれはいけませんねえ(汗)
Posted by babu at 2009年07月23日 14:32
おお~嫁入りのため 娘として入籍!
(;-;)泣かせるなぁ~。
もうこの子の将来は 完結しているのが
わかっていつつも
なんだか totuさんが これからの
彼女の運命を決めるような気がして
ちょっと~!幸せにしてやってよ~!
なんて 言いたくなるわさ。
Posted by taki おかみtaki おかみ at 2009年07月23日 19:09
tutoさん、
文学青年ですね。
古文書解読、
次を楽しみにしております。
Posted by 愛ちゃん2 at 2009年07月23日 19:10
babu さん江

なんの、なんの、私のPCも最近、ヒドイ(><)。立ち上がりが遅いし、、もたもたして長いブログ 作ってると、消えちゃう。えっ!。

根が セッカチなので付き合っちゃぁ居れません。電源がロウソクみたいです。

※イメージ膨らませんといてください《笑)、、、多少、、読める程度です。


taki おかみ さん江

えっ、おかみさんに喋ったっけ、、、、《汗》。。。。人生の後半に別れた兄と生き合うんですが、、話したっけ、、、。
出来るだけ、幸せに完結するように、、創作によりをかけて、と、。
 読書家だから、、たいがいの結末じゃぁ満足しんでしょ?《笑)


愛ちゃん2 さん江

照れ照れ、、一度、文学青年などと言われてみたかった《笑)、、、、解読になりません、私の場合は。ドンドン、創作していっちゃうので、こういうタイプはダメだそうです。。。

後日を お楽しみに☆
Posted by totu at 2009年07月23日 20:45
ついつい引き込まれて読んでしまいました。
ハピーエンドが好きな私は、女の子の幸せを願わずにはおれません。
Posted by サラサラ at 2009年07月23日 20:49
美しい百合です。

お話またひとつの冊子に早くなれば皆さん喜ばれると思います。

写真集もいいですよね。
Posted by おぐらや 素子おぐらや 素子 at 2009年07月23日 22:42
サラサラ さん江

PCのせいにしちゃぁいかんけど、長く書いてると、途中で消えちゃう、、で、とりあえず箇条書きになってしまいました。
 いつかは ちゃんとマトメテおきたいと思ってます。

明日の朝 時間が無ければ、夕方帰ってから この続き、、です。
Posted by totu at 2009年07月23日 22:48
おぐらや素子 さん江

咲くと思ったんですが( ̄^ ̄)y-~~色が より白くなっただけ(苦笑)明日は 間違いなく開花するでしょう。
身体がデカイせい でしょうか?ずいぶん ゆっくり のんびり咲くもんです!

私も このくらい堂々としていればカッコイイんでしょうが (笑)粗忽者で困ります。・・・
Posted by totu at 2009年07月24日 00:21
小説家はたいてい自分のことを「嘘つき」といっているようです。
自分の想いをどう伝えるかが、読者にどのように伝えるかが大切だと・・・。
読んでくれなければ、始まらないということでしょう。
創作おおいに結構だと思います。
歴史学でも怪しいことがある。
Posted by saijikisitra at 2009年07月24日 11:14
saijikisitara さん江

(笑)創作から空想、妄想へ発展しそうですが・・・当時を思い 謎解きをするのは 楽しみ!というより 同じような気持ちに 近づけたらと・・・供養と介護をされた人々への尊敬でしょうか<m(__)m>
Posted by totu at 2009年07月24日 17:03
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